新潟県の佐渡島で、和太鼓を中心とした伝統的な音楽芸能を追求する太鼓芸能集団「鼓童」の事務局として働いておられる新井和子さん(1986年法)にお話を聞いた。
立教卒業後は一般企業に就職したものの、「鼓童」の公演に心を打たれ、佐渡への移住を決意。現在は「鼓童」を支えること20年以上になる。
インタビューでは、大学時代のエピソードや「鼓童」で働くやりがいと葛藤、世界中の人々の心を動かす和太鼓の魅力についてお聞きした。
1+1=2以上を経験した大学時代
新井さんは中高時代を女子校で過ごした。大学進学にあたっては複数の選択肢があったが、高校までに勉強してこなかったことを学びたいという思いと、共学を経験してみたいという考えから、立教大学の法学部を選んだ。
法学部のテストは論文形式であったため、根拠を明確にしながら論理的に書く力が身につき、卒業後にも大いに活かされた。刑事訴訟法を研究する「田宮ゼミ」に所属したが、ゼミにうっかり体育会のジャージで出席してしまい、周囲に驚かれたこともあったという。
そんな新井さんの学生生活の中心となったのは、体育会女子バスケットボール部だった。
「今はすごく強くなっているんですけど、私が入った当時は本当に小さなチームでした」
新井さんが女子バスケットボール部に入部した時のチーム構成は、4年生2人、3年生2人、2年生3人、1年生4人の計11名という、小規模なものだったという。新井さんは中高時代からバスケットボールに打ち込んできたが、メンバー全員がそうした経験をもつわけではなかったため、 練習は試行錯誤の日々だった。
「1+1が2以上になる経験をしました」
新井さんが2年生のとき、プレーが凄く上手な後輩が入ってきたそうだ。一緒に練習を重ねるうちに、その後輩だけでなく周囲のメンバーもどんどん実力がついていったという。OBの方がコーチとなって熱心に指導してくださり、創部以来の2部昇格を達成できた。
この成功体験は、現在のお仕事にも活かされている。公演の舞台メンバーを編成する際、必ず新人からキャリアメンバーまでが混ざるようにグループを組んでいるという。新人が他の皆の中に混じることで、全体が伸びていくのだ。
「新人だからって全部劣っているわけではなくて、若さからくるエネルギー感はむしろ新人にしか出せないんです」
また、新井さんは体育会のもう一つの魅力として、横のつながりが非常に強いことを挙げた。体育会のメンバーは、大学のフレッシュマンキャンプやリーダースキャンプを共に過ごし、同じ釜の飯を食った仲間だ。
昼練の際には他の部と練習ゲームをした。サッカー部やバレー部など、それぞれの特性を活かしたプレーが見られ、面白かったという。今でも同期のLINEグループは活発で、お互いの部の大会の模様を伝えあったり、皆で箱根駅伝の応援に行ったりするそうだ。

小さな企業の大きい歯車でありたい
充実した大学時代を過ごした新井さんは、卒業後は一般企業に就職した。海外マーケティング部に配属され、商品企画を10年間経験した。しかし、働くにあたって必要な語学力が足りず、悔しい思いをしながらも、経験を積むことでなんとか仕事に向き合っていたという。
そして30代になったとき、「自分の居場所は本当にここなのか」と考えるようになる。そんな折、友達に誘われ「鼓童」の公演を見に行った。7月のことだった。
鼓童の演奏を前から3列目で鑑賞すると、空気の振動を感じた。動画や音源では再現できない、目の前で演奏されるからこそ感じられる醍醐味だ。
自身が言語に苦労しながら海外を相手に仕事をしている一方で、鼓童が言語のいらない演奏で日本文化を全面に押し出しながら世界で評価されている姿に、新井さんは心を打たれたという。
2ヶ月後の9月、新井さんは佐渡島へ渡り、鼓童のワークショップに参加した。併せて事務所見学もさせてもらい、「ここで働きたい」と考えるようになった。
「大きな企業の小さい歯車ではなく、小さな企業の大きい歯車でありたい。自分がここで役に立つかは分からないが、どうせ違うことをするならチャレンジしたいと考えたんです」
はじめに「働きたい」と連絡してもあっさり断られたが、何度かアプローチする中で、12月には当時の社長に会ってもらえ、アルバイトとして採用された。公演で出会ってから半年足らずで鼓童で働くことが決まり、今に至る。
「コロナ禍は、私たちにない力をつける機会」
長年鼓童を支え続け、現在の社長とともに全体をまとめるポジションについた新井さんに降りかかったのが、コロナ禍だ。当時の鼓童は欧州ツアーを行なっていたが、10公演を残して急遽佐渡に帰ることとなった。新井さんをはじめ事務局が公演のキャンセル対応や助成金の手続きに追われる一方、舞台メンバーはすることがなくなってしまった。
「メンバーそれぞれが、自分が太鼓を叩く以外に何ができるかを考えてくれたんです」
舞台メンバーはこれまで公演と稽古に追われる日々だったのが、腰を据えて新しいことに取り組む時間を得られたのだ。例えば、コロナ以前は鼓童の音響や映像はエンジニア経験のある社長が担当したり、外注に依頼していたが、舞台メンバーが自らそれを学び始め、技術をつけていったという。また、今までは企画を立てたり全体を調整したりする仕事は事務局が担っていたが、舞台メンバーもそれに能動的に関わるようになった。
「経営的にはギリギリでしたが、今振り返れば、私たちにない力をつける機会になったと思います」

「鼓童はおもしろい集団」
コロナ禍をも乗り越えた鼓童は、新井さんから見てどんな集団なのか。
「鼓童を一言で表すと、おもしろい集団です。理念はもちろんありますが、他の全てはその時に所属している人たちが作っていくんです」
元々大事にしていきたいものはあるが、鼓童をどうしていくかは都度皆で話し合う。判断する材料はその時の顔ぶれだ。新井さんは、同じルーティンではない、様々な要素で常に変化していくグループなのがおもしろいと考える。
「そこにいる必然性がある。辞めていった人たちがいて今がある。それぞれの時の鼓童が繋がって今があるんです」

大変だけど楽しい、って経験を
新井さんは、大学時代の体育会の経験と遠距離通学で心身が鍛えられたという。体も丈夫で、打たれ強くへこたれない精神も身についたそうだ。
自分が卒業した大学が今もあって、今の人たちが頑張ってくれていること。そして仕事と家庭以外に大学時代の友人たちとのつながりがあることは、新井さんの生活の大きな支えになっているという。
最後に、学生へのメッセージをいただいた。
「大変だけど楽しい、って経験をすると、きっとその後も同じように乗り越えられるんじゃないでしょうか」
立教でそれぞれの活動に打ち込む学生たちを励ますお言葉だと感じた。
(学生ライター:藁品暁海、学生カメラマン:菊原萌恵)
※掲載されている記事の内容はすべて取材当時のものです。
◆太鼓芸能集団 鼓童 HP
◆鼓童の公演スケジュール
◆近日開催予定の公演 ※2025年3月時点
