周防 正行さん「試験の夢」 1981年仏文学科卒 映画監督

エッセイ

記憶のキャンパス「試験の夢」

しばらく試験の夢を見ていない。ある時までは年に一度くらい、いや数度か、「明日試験なのに何もやってない!」と全身が凍りつく夢を見ていた。
夢の中の試験は、ほぼ大学の入試や期末試験だったと思う。なぜなら舞台はいつも池袋の街だったり、立教の教室だったりしたからだ。不思議と中学、高校の試験の夢ではなかった。もしかしたら、気分はずっと大学生のままだったからかもしれない。
「大変だ!」と凍りついた瞬間、目覚めることもあれば、そのまま夢の中で必死に一夜漬けを始めたり、友達に会いに行って試験範囲を確認してノートを写させてもらったり、時には教授のところに謝りに行って、レポート提出で勘弁して下さいと頭を下げたり、これでもう人生が終わってしまうと思い詰めるくらいに必死だった。
なので目覚めると、心底ほっとした。まさに「悪夢」からの解放だった。
ところが、現実に大学生だったときは、明日試験だ!と焦った記憶はない。もちろん準備万端だったわけではない。あーもう直ぐ試験だなぁ、勉強しないとなぁと思っていながら、大体は間際になっての一夜漬けで乗り越えたり、乗り越えられなかったりした。

実際に教授に頭を下げてお願いしたことはある。大学4年の秋、ピンク映画(18歳未満お断りの成人映画)の助監督を始めたので、ほとんど大学に行けなくなり、試験も受けられなくなった。これでは卒業に必要な単位取得が困難になる。そこで教授に会いに行き、「就職が決まりました。映画の助監督です(本当はアルバイトのようなもので、就職といえるようなものではなかった)」と報告した。仏文科の先生たちは、「それは良かった」と我がことのように喜んでくれた。そこで、すかさず「ただ、もう助監督を始めていて、これからは授業にも出られないし、試験も受けられません」と訴えた。すると、ほとんどの先生が「だったらさ、レポート出してよ」と助け舟を出してくれた。なんとありがたかったことか。

おかげさまで卒業できたのだが、今思えば、本当に助監督の仕事は忙しかった。なにしろ3月のある日、急にその日の撮影でエキストラが必要となり、僕は慌てて大学の同級生に電話して出演交渉しようとしたのだが、電話に出たのは友人のお母様で(まだ携帯電話のない、一家に一台の固定電話の時代である)、「今日は卒業式で娘は出かけましたけど(卒業式も入学式も親が必ず付き添う時代ではなかった)」と言われてしまった。
もう絶句である。卒業式なんて忘れていた。

エキストラを同級生に頼むことは諦めて、他の知り合いに電話をかけまくることになってしまった。
卒業証書は、確か5月になってから、学生課に取りに行ったと思う。そして、その足で仏文科の研究室に行った。そこにはいつも安藤さんがいて、在学中もよく喋りにゆき、様々な相談事を持ち込んでは色々とフォローしてもらっていた。試験のことで教授に直訴できたのも安藤さんの手引である。その日も、助監督生活の報告をしたり、仏文科の卒業生の話を聞いたりした。監督になってからも、時々お会いしては色々とおしゃべりする関係が続いた。時には映画のチケットを売るために、仏文科の授業が始まる前に教室で宣伝させてもらう根回しをしてもらったこともある。
その大好きな安藤さんも、今はもういない。僕が立教大相撲部の名誉監督になったと知ったら喜んでくれただろう。
ところで、これから先、再び試験の夢を見ることはあるのだろうか。もし見ることがあれば、それはもう「悪夢」ではない気がする。目覚めたとき、きっと何とも言えない懐かしさの中で幸せな気持ちになるに違いない・・・。
と思うのだが、果たしてどうだろう?

周防 正行(すお まさゆき)

文学部仏文学科(当時)1981年卒業。在学中に非常勤講師の蓮實重彦氏の講義「映画表現論」に出会い、映画制作の世界へ。1984年に映画監督デビュー。1992年に学生相撲をテーマにした『シコふんじゃった。』で第16回日本アカデミー賞最優秀賞を受賞。1996年に公開した『Shall we ダンス?』では社交ダンスブームを巻き起こし、第20回日本アカデミー賞13部門独占受賞。2016年、紫綬褒章受章。2018年3月、立教大学相撲部の名誉監督に就任。2022年、『シコふんじゃった。』から30年後の学生相撲を描いた配信ドラマ『シコふんじゃった!』を発表。

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