柳家 小はださん 2015年福祉学科卒 落語家

林家 咲太朗さん 2019年政治学科卒 落語家

インタビュー

【アイボウ】しゃべって、笑わせて、芸を磨いて。若手噺家の現在地

小学校から立教に通う「内部生」でありながら、そのキャラクターは大きく異なる二人。自由な発想とフットワークで独自の道を切り開く柳家小はださんと、人気落語家・林家たい平を父に持ち、演芸界から期待を集める林家咲太朗さん。伝統芸能の世界で「二ツ目」として芸にさらなる磨きをかけるお二人に、学生時代の思い出から、修業時代の裏話など、たっぷりと語っていただいたインタビュー(校友会報Vol.471掲載)のロング版をお届けします。

目次

就活よりも「舞台袖」。落語家を志した理由

「落語家になろう」という決意が固まったのはいつ頃ですか。

咲太朗:父(林家たい平)が落語家でして、幼い頃から落語が身近にありましたが、自分もなろうとはあまり考えていなかったんです。きっかけは、大学生になり、父が池袋の東京芸術劇場で毎年開催している落語会を手伝うようになったことですね。お客さまの心を動かす芸のすごさに感銘を受け、父への尊敬の念も改めて覚えました。『芝浜』という人情噺があって、それにすごく感動したんです。年末の開催なので、お客さまは「来年も頑張ろう」と思えるエネルギーをもらいにやってくる。自分自身も、舞台袖で聴きながら翌年への活力が湧いてくるのを感じました。周りが就職活動をしている中で、「人の生きる原動力になれる、この道に進みたい」と思うようになりました。

小はだ:私は元々、江戸文化そのものに興味を持っていました。美術館へ浮世絵を見に行くのが好きで、そうした日本の大衆文化の流れで落語にも関心はありました。ただ、特に何かアクションを起こしていたわけではなく、大学に入学して4年間は体育会少林寺拳法部で汗を流していました。実は私、大学に少し「長めに」通っていまして(笑)。4年生が終わる時に体育会の部活は引退しなくてはいけないので、友達が欲しくて落研(落語研究会)の門をたたいたんです。…と言いつつ、部室で仲間と集まってはゲームばかりしていたんですけど。

そこから、プロの道に進むのがとても意外です。

小はだ:私は昔、対人関係がうまくいかなくてつらい思いをした時に、お笑いに救われた経験がありました。それに、私は伊集院光さんのラジオが大好きで。自分の関心が高い「江戸文化」「お笑い」「ラジオのようなしゃべり」という3つの要素が、落語には全て詰まっていると気付いたんですよ。もちろん、落語の世界へ飛び込むにはかなりの勇気がいりましたし、長男が一般的な進路から外れちゃって…母親をはじめ家族はみんな頭を抱えて心配していましたね(笑)。

365日落語漬けの見習いから二ツ目に昇進。修業のリアルとは

落語界の修業とは、具体的にどのようなことをするのですか?

咲太朗:まずは「見習い」から始まります。師匠の身の回りの世話、カバン持ち、掃除など、とにかく雑用として働く期間です。1年ほどかけて着物の畳み方や太鼓のたたき方をみっちり仕込まれ、ようやく「前座」として楽屋入りが許されます。前座になると、寄席で毎日、自分の師匠だけでなく、あらゆる師匠方の着物を畳み、お茶を出し、舞台の進行を管理します。

小はだ:休みはなく、365日落語漬け。これがだいたい4〜5年続きます。寄席の運営の裏方は、全て前座が支えているんですよ。2020年5月、前座から「二ツ目」に昇進した時は本当にうれしかったです。ようやく修業から解放されたんだから(笑)。

咲太朗:前座と二ツ目の最大の違いは「独立」です。自分の名前で落語会を開いたり、メディアに出たり。自由に仕事ができるようになり、やっと名前で飯が食えるようになる。プロとして一歩踏み出した感覚ですね。

小はだ:落語家は全員が個人事業主ですから、事務所が仕事を用意してくれるわけではないんです。自分でイベントを企画し、自分で営業し、人脈を広げていかなければなりません。私は二ツ目に昇進したのがちょうどコロナ禍の真っただ中で、寄席が史上初めて休みになった時期でした。お祝い事も全て中止。「どうしよう」と思いましたが、コーヒーの焙煎(ばいせん)という趣味を生かして、お店を間借りしてコーヒー屋を始めたんです。すると、演芸ファンや有名な師匠方が遊びに来てくださって、そこで顔を覚えてもらって。「今度落語会に呼んでみようか」と仕事につながりました。何がどこでどうつながるか分からない。どんな経験も、落語への「足し算」になると感じた瞬間でした。

咲太朗:僕は父と一緒に仕事をしていたので、テレビで『笑点』を見て「たい平の落語を見てみよう」と初めて演芸場に来るお客さまの前で芸を披露する機会が多くて。つまり、人生で初めて生で落語を聴くのが僕、という方が結構いらっしゃるんです。だからこそ「難しい」と思われないよう、現代の感覚を取り入れた分かりやすい落語を心がけています。さらに、落語は常識から外れたような話も多いからこそ、普段から「常識」を持っておくことも大事。お客さまとの距離を縮めるために、今の世の中のニュースをしっかり理解しておきたいと常々感じています。

立教出身の噺家で落語会を! 不思議な広がりを見せる立教との縁

立教出身であることが現在の活動にどうつながっていますか?

咲太朗:寄席でも「自分も立教出身だよ!」と声をかけてくださる方が本当に多いんです。不思議と安心しますね。卒業後も立教の輪が自然と広がっています。落語界でも校友が増えてきており、「立教出身者で興行をしよう」という話も出ています。

小はだ:同感です。立教には多様な個性を受け入れる土壌がありますし、それが落語界という世界でも生きている気がします。立教のご縁は不思議な広がりを見せていて、例えば総長のご子息と飲み友達になるようなことも(笑)。そんな偶然も、立教らしい柔らかい人のつながりがあってこそですね。

今後の展望についてお聞かせください。

小はだ:明確な目標は決めていませんが、「枝葉を伸ばせば幹が太くなる」という師匠の言葉を大切にしています。いろいろなことに挑戦しながら、自分に合った芸のスタイルを見つけていきたいです。

咲太朗:最初は「自分は天才だ」と勘違いして入る世界ですが(笑)、壁にぶつかりながら、ゴールを探し続けるのがこの仕事。「落語を守る」ではなく「落語を面白くする」ために自分がどうあるかが大事だと思っています。落語は伝統文化ですが、同時に「演芸」としての落語も大切にしたい。伝統を受け継ぐという文化的な重みは意識しつつも、現場ではお客さまを楽しませることを重視しています。そして師匠たちのような格好いい噺家の姿を次世代に継承していきたいです。例えば人間国宝の師匠でも、「この噺、教えてください」とお願いすると、何の見返りも求めずに指導してくださるんですよ。先輩方から受けた教えを、自分も後輩たちに伝えていきたいですね。

読者へのメッセージをお願いします。

小はだ:2025年9月に金原亭馬久兄さん(2010年映像身体学科卒)が六代目金原亭馬好と名を改めて真打に昇進されました。さらに2026年9月には、馬好師匠の奥さまである春風亭一花姉さん(2010年経済学科卒)が真打に昇進されます。落語界でも校友が活躍していますので、これからも注目してもらえるとありがたいです。

咲太朗:落語は「難しそう」と思われがちですが、誰にでも楽しめる文化です。まずは 気軽に、寄席に遊びに来ていただけたらうれしいです!

柳家 小はだ(やなぎや こはだ)

コミュニティ福祉学部福祉学科2015年卒業。卒業後に柳家はん治に入門。2016年に前座となり、2020年に二ツ目に昇進。寄席や自主公演への出演のほか、趣味のコーヒーや茶番の会、立教の同級生の能楽師との二人会なども開催している。

林家 咲太朗 (はやしや さくたろう)

法学部政治学科2019年卒業。同年、父である林家たい平に弟子入り。2020年に前座「さく平」となる。2025年に二ツ目に昇進し「咲太朗」と改名。エネルギッシュかつ品のある落語が得意。

※掲載されている記事の内容は取材当時のものに加筆しています。