2026年3月、ボクシング界に走った大きな衝撃。「モンスター」の異名で知られる井上尚弥選手をも苦しめた、元世界5階級制覇王者のノニト・ドネア選手を相手に、増田陸選手が8回TKO勝利を収めたのです。一躍世界の注目を集めた若きサウスポー。しかしリングを降りると、読書や旅を愛する知的な一面を持つ青年でもあります。拳に宿る美学や大学時代の思い出、そして世界王座への覚悟とは。2026年7月20日に控えるWBA世界バンタム級王座決定戦を前に、若きボクサーの素顔に迫ります。
目次
自信と焦りの間で戦ったドネア戦
「次の試合、ドネアとやる?」
所属する帝拳ジムの本田会長から電話をいただいたのは、2026年1月のことでした。対戦相手の名前に驚く間も無く「是非やらせてください。」と即答しました。ノニト・ドネアといえば、ボクシングを始めた頃から活躍を見ていた言わずとしれたレジェンドです。電話を切ってから、どこか実感が湧かないようなそわそわした気持ちでジムへ向かいました。
実は、ドネア戦の前に当たる2025年11月の試合には、大きな課題を感じていました。攻撃のパターンが単調で展開に変化をつくれず、負傷判定での勝利。自分の理想とは程遠く、お客さんを十分に沸かせることもできなかったからです。その反省から、改めて自分のボクシングを見直そうと、年末年始も休まずトレーニングを重ねていました。準備を怠らなかったからこそ、巡ってきたビッグチャンスに迷わず手を挙げられたのだと思います。

2026年3月の試合当日、リングに上がった時の精神状態は不思議なほど冷静でした。積み重ねてきた練習に手応えがあり、「やるべき準備はしてきた」という自信があったからです。しかし、いざゴングが鳴るとそんな冷静さはどこかへ消えていました。強気の裏に隠れていた焦りから「早く終わらせたい」という気持ちが先走り、第一ラウンド終了時のインターバルでセコンドに「倒しにいっていいですか」と聞いていて。担当トレーナーの「試合は始まったばかり。相手のスタミナを削るまで丁寧に試合を組み立てよう」という言葉で、再び冷静さを取り戻しました。勝機をうかがいながら少しずつ相手の体力を削り、迎えた第7ラウンド。狙った左ストレートがヒットし、ドネア選手がリングに沈みました。続く第8ラウンド、タオルが投げ込まれて試合終了。ドネア選手の表情やセコンドの盛り上がりを見て、「自分が勝ったんだ」と気付きました。それほど試合に集中していたんです。「これでまた、大好きなボクシングを続けられる」。勝利の実感とともに安心感がゆっくりと身体に染み渡っていきました。
黒星をバネに「世界一」への覚悟が決まる
プロになってから唯一負けたのは、現在の世界バンタム級王者である堤聖也選手との試合でした。それまでの私は、自分のパンチ力を過信し「当たれば倒せる。倒せば勝てる」と一辺倒なボクシングをしていました。それでも根性だけを頼りに必死に闘いました。10R苦しんで結果は判定。相手選手の腕が上がった瞬間、頭が真っ白に。負けたという事実に深く落ち込みました。とても辛い時期でしたが周りの方の支えもあり、「やるからには世界一に」という覚悟を持って再起を決めました。それからボクシングとの向き合い方を根本から見つめ直し、よく考えてより丁寧に練習をするようになりました。敗北によって得られたものは沢山あります。一敗の重みを知ったことがドネア戦の勝利にも深いところで繋がっていると思います。
読書、部活動、旅。ボクサー・増田陸をかたちづくるもの

ボクシングを始めた原点は、14歳の頃、担任の先生に勧められて読んだ百田尚樹さんの小説『ボックス!』にあります。ボクシングで切磋琢磨する少年たちの物語で、ボクシングというスポーツが起源が古代ギリシアに始まったという歴史を知り、興味を持ちました。ルールがなければただの殴り合いになってしまうこのスポーツが、紀元前から現在まで続いている。時代によっては危険だと禁止されたり、人々を熱狂させたり、捉えられ方も変化しているんですよね。ただ、高校時代まではプロになるとは考えておらず、スカウトを受けて立教大学に入っていなければ今の僕はなかったかもしれません。
入学した当初、立教大学ボクシング部は関東大学ボクシングリーグの3部でした。ボクシングの聖地、後楽園ホールでの試合を目指してチーム一丸となって練習に励んだ結果、3部優勝を果たし、念願だった2部昇格を実現できました。大学からボクシングを始める部員も多い中で、それぞれの個性を活かしたボクシングをチーム全体で考えて、意見交換する場を大切にしていました。4年次にはキャプテンを務め、「気持ちで臨む」ということを大切にチームをつくりました。技術や体力も大事だけれど、気持ちの面で絶対に勝つんだと。練習の一方で、友人と遊んだり、ラーメンや甘いものを食べたりしていましたよ。減量期には軽いという理由でスナック菓子を食べたり、計量前日に5~6kg水抜きで落としたり。無茶苦茶やってました。試合後は吸い込まれるようにラーメン屋へ行っていました。今では考えられない不摂生も当時の思い出です。

観光学部を選んだのは、旅が好きというシンプルな理由から。印象に残っているのは、授業の一環で参加した新座市主催の旅行記のコンテストです。市内にある柳瀬川での釣りを題材に、オイカワという美しい魚のことや川辺の情景を書いたところ、賞をいただくことができました。子どもの頃から本を読むのが好きで、今も練習の合間によく読書をします。体を動かしてばかりだと疲れてしまうのですが、いい息抜きになるんです。読書をしていると普段とは違う脳を使っている感覚があり、それがなんだか気持ちよくて。旅行記を書いた時も、そうした読書習慣が少なからず生きていたのかもしれませんね。また、今も国内外問わず旅に出るのが好きなのですが、旅先で土産物を見て「お土産には地域性が凝縮されている」という授業内容を思い出したこともあります。卒業して何年もたちますが、立教時代に学んだことをふと思い出す瞬間は意外と多いですね。
リマッチを見据えて。「紫電一閃」で世界の頂点へ
父が僕のボクシングスタイルを表現してくれた言葉があります。「紫電一閃(しでんいっせん)」。研ぎ澄まされた刀が振られた瞬間のような鋭さや、一撃で流れを変える様子を表す四字熟語です。左ストレート一発で試合の流れがひっくり返る瞬間を見て考えてくれたそうです。スタッフTシャツやファンの方々への手紙にも入れている、大切な言葉です。
実は日本刀も好きで、ファイトマネーで室町時代の刀を購入しました。何百年もの時を経ても美しい状態で残り続ける姿に、職人の技術のすごみを感じます。何度も鍛えられ、不純物をそぎ落としながら磨かれていく過程は、ボクシングにも通じるものがあるように思います。

ドネア選手に勝利し、WBA世界バンタム級挑戦者決定戦の挑戦権を手にした今、次に見据えるのは世界の頂点です。堤選手ともう一度リングで向き合うことになったら、僕はそれを「リベンジ(復讐)」ではなく「リマッチ(再戦)」と呼びたいです。あの初黒星の日から、試合に勝ち続けてきました。レジェンド、ドネア選手にも。堤選手も世界王者となり、さらに進化しているに違いありません。過去の雪辱を果たすためではなく、現在の自分たちのどちらが強いかを証明するための戦いです。世界の舞台で再び対戦できるなら、それ以上に楽しみなことはないですね。
エール!Extra Time
●直近の愛読書は?
福岡正信さんの『わら一本の革命』。YouTubeで福岡さんを知り、本書を手に取りました。自然に対する考え方や人間社会のあり方など、哲学的な思想に引かれた1冊です。
●思い出に残っている旅は?
2024年に訪れたネパールでの登山です。シェルパ(ガイド)の方々と生活を共にし、圧倒的な大自然の中で現地の文化を感じた時間は、今も強烈に心に残っています。
●お勧めの飲食店は?
帝拳ジムの向かいにある老舗のうなぎ割烹「志満金(しまきん)」。デビュー戦の頃から、計量を終えると今は亡きマネージャーがいつもうなぎ弁当を持たせてくれました。食べると元気が湧く勝負飯です。
●試合後によく食べるのは?
地元・広島の味である尾道ラーメンです。試合後に食べる、背脂が効いた醤油ベースのラーメンは、五臓六腑に染み渡ります。
●ボクシングの魅力とは?
僕が引かれるのは選手の人間性が見えるところ。試合が白熱すると、それぞれの内面的なものが垣間見える気がしますし、「どんな選手なんだろう」と興味が湧いてきます。


●取材後記
日本刀のように鋭く切れる強烈なパンチはまさに「紫電一閃」。その鮮やかな試合の数々はYouTubeなどでも見られるので、ぜひ皆さんにご覧いただきたいです。
実際にお会いした増田選手は、驚くほど謙虚で穏やかな印象で、とても真摯(しんし)に一つ一つの質問に答えてくださいました。
「一敗の重み」「世界一になる覚悟」…。自分自身と深く向き合うアスリートならではの言葉の数々から、ボクシングが拳で戦う競技であるとともに、頭脳の格闘技でもあることを実感しました。
会報委員 木田 明理 2002年日本文学科(当時)卒
本インタビュー後、増田陸選手の世界タイトルマッチが決定!
3月のドネア選手との挑戦者決定戦を制し、世界挑戦権を獲得した増田選手。WBA世界バンタム級王座を巡る異例の経緯を経て、2026年7月に比嘉大吾選手との王座決定戦に臨むことが決まりました。比嘉選手は元WBC世界フライ級王者で、数々の世界戦を経験してきた実力者です。ドネア選手を沈めた「紫電一閃」の左ストレートを武器に、いよいよ世界の頂点へ挑む増田選手。ぜひ熱いエールをお送りください。
WBA世界バンタム級王座決定戦
日程:2026年7月20日(月・祝)
会場:両国国技館(東京都墨田区)
増田 陸(ますだ りく)
観光学部観光学科2020年卒業。在学中、体育会ボクシング部で主将を務めた。卒業後は帝拳ボクシングジムに所属し、2021年プロテストでB級合格。サウスポースタイルから放たれる強烈なハードパンチを武器に、11戦10勝(9KO)1敗という戦績を誇る。第78代日本バンタム級王者。2026年3月、ノニト・ドネアを8回TKOで破り、WBA世界バンタム級挑戦権を獲得。

企画担当:木田明理(2003年日本文学科)